いがっぺな日記

酔っ払いがその場で思った事を書いているだけm(__)m

趣味

趣味を持つことは、いいことだと思う。但し、周りや家族に迷惑をかけない範囲で!という条件で😄

 趣味がある事で、ストレスを発散する事が出来ると思う。意識してなくても心のリセットが自然に出来ているんじゃないかな?

 同じ仲間を通じて、自分を見つめ直すことが出来るかもしれないしね。

 趣味を通じて、いろいろ学べるかは自分次第。それが正解かはわからないけれど、そう考える事は自分にとってマイナスにはならないと思う。少なくとも今の自分よりは進化出来るんじゃないかな?😄

目標

人は何かしら目標を作っていると思う。仕事、勉強など。その目標は人それぞれ、大きいものやどうでもいいものなど、多岐に渡る。
ここで問題と思うのが、どこを目標にするか?と言うこと。たとえば、高校受験。ここなら入れると言われ頑張って入ってみると、勉強についていけない。なんてことはないだろうか?たとえば、その学校が地域では有名でも履歴書では、高卒に違いはないのではないのかな?
企業は、その人の能力(会社に貢献できる力)を期待しているのであって、その高校は判断の一材料としてみているのではないか?
自分が何をしたいか決めている学生は、少人数しかいないと思う。時期が来たら卒業という名目で追い出されるのである。
学生の最終目標は就職であるから、少しでもいい会社に勤めたいと思うのは、本人よりも親御さんの方である。ただ、学校では、求職の情報だけを与えて、決める事を迫る。とりあえずここでいいかぁ。なんて決めると後で辞めることになるかも。しかし、卒業したら在学ほど親身になってはもらえない。
本人は、就職なんてあまり先の事を考えないで決めている。それは仕方ないと思う。なんせ、転職をして就職するまで苦労をしたことがない。(安泰な公務員)そんな人が斡旋するのである。学生が世の中に出て行くのに。例えば、国民年金と厚生年金の違い、国民健康保険社会保険の違い。企業の福利厚生や待遇など、実際経験した人(特に転職など)じゃないと将来のアドバイスは出来ないと思う。
希望の高校、大学に入ることを目標にしてしまうと、達成したらあとは転落が待っている。山を登り終えたら降りるだけである。目標は自分の一生でどのように終えるかを考えて生きて行くことが大切ではないだろうか?まぁ、歳をとったから言えることではあるが、そんな話をまだ先がわからない、方向性も見出せない学生に真剣に教える時間があってもいいのではないか?いやむしろ必要と考える。学校は送り出すだけが目的であってはならない、過保護と言う温室から、いきなり厳しい現実に放り出されるのであるから。自己責任と言う理不尽な世界へ。

バイク

今の若い人はバイクに興味がない。高校で免許は取得できるだろうが制限されているのかな?爺いが若い頃は、バイク=不良という扱いであり、取らせない乗せない持たせない、いわゆる三ナイ運動が真っ盛り。当時、高校になったら免許とってバイクに乗るのが主流。そしてエネルギーの吐け口の一つとして暴走族が繁栄した。そんな需要もあるからメーカーも色々な車種を販売、パワー競争も当たり前のになっていった。その後バブル期になり、各メーカーも限定という名の豪華仕様(レーサーと同じ部品を使用)を当時で200万で販売していた。
当時は需要がかなりあったため、メーカーも色々な仕様で販売し、売れていた。しかし、三ナイ運動を含めバイクの熱は冷めていく、バイク免許を取れる年齢から2年過ぎれば普通免許が取れるのである。じゃ、別によくね?てな考えが出るのは当たり前。そして忘れてはいけないのが、親の環境だと思う。当時、普通車免許を持っていた親は仕事をしていて、家にいる奥さんは免許がない、そんなことが当たり前だった。だから、自力で移動する手段を探さなければならない。そこでバイクとなるのである。現在、ほとんどの人が普通免許をもっていて、送り迎えも出来る人は移動手段を迫られる必要がない。
そのような事も含め、現在はバイクの需要は極端に減っているため、メーカーも製造は人件費が安い海外で行っている事が多い。
現在、バイク業界を支えているのは、中年であるかもしれない。昔を思い出して旧車(見た目族車仕様)を求める仲間が集って走っている。また、バイクが集まる道の駅には、ヘルメットを脱ぐと、ハゲか白髪の奴が多い。これを見ても中高年がこの業界を支えているように思う。
バイク業界が衰退したら、規制を緩和する。高校も緩くなり原付ではあるが通学が許可されている。昔なら考えられないことである。また、大型バイクは750cc以上は国内販売は許されず、出力も2/3以下にしたまのしか販売できなかった。今はフルパワーでも当たり前のように販売されている。売れなくなったらこれか?
ただ、言えることは需要が少ないため高価になっていること。高いから買えない。売れないから価格が上がる。、、、イタチごっこだね(´Д` )

実写化

昨今、アニメの実写化がされている。でもその印象はどうだろうか?原作を知っている人はその人なりのイメージが出来上がっているから実写化には疑問を持つかもしれない。ただ、流行りのキャストを使うことで本来の魅力とは違う魅力で人を惹きつけるのかもしれない。
人気のあるタレントを使うことで、ある程度の収益は見込めるのだろう。独自の作品を作るよりすでに認知されてるものを使ったほうが、制作費も抑えられるだろうし、それなりの収益も期待できるだろう。
大ヒットは、この時代難しい。いろんな楽しみ方が蔓延しているからだ。だから、映画館もある程度の収容があればいい感覚で多種類が上映できるよう分割されている。
今の映画は、予算をかけずに、そこそこの収益があればいい。ということに終始しているのかも。
携帯で情報(動画)が見れる時代、映画館に足を運ぶことが難しいのは否めない。
但し、迫力を求めるなら自分の家のシアターよりは、やっぱり映画館だよね。

あなた、出番です!

北朝鮮関係のニュースが多くなりましたね。パフォーマンスなのか本気なのか、わかりません。バックに大国が二つもいるあたり、アメリカも簡単には攻撃できないでしょう。但し、在日在韓の基地を攻撃されたら、それを理由に本気でやるかもしれません。
そんな中、国会議員の先生は、話し合いて解決するべき!と強い口調でまくりたてている映像を見かけます。またある議員は9条があるから日本は戦争にならない!自衛隊憲法違反だ!と盛んに叫んでいます。どちらも、日本の国会の中だけで発言してます。
どうせ叫ぶなら、当地国に行って想いの全てを語って解決してくれたら、その人、党の株は一気に上がるどころか、ノーベル平和賞も狙えます。内に向かって叫ぶより外に向かって叫んだほうがいいのでは?

相棒

TVドラマで人気のタイトル。反対の性格同志が補い合って事件を解決する物語である。ここでの設定も突然に組み合わされるという事から始まっている。
人生でも当てはまらないかな?人生の伴侶と巡り会うのは同じようなシチュエーションではなかろうか。後の事など考えず突っ走る。ある意味ドラマと一緒、自分の人生もドラマの一つなのかも?と思ってしまう。
更に、自分が人生の岐路に立った時の伴侶の対応でその後の自分が決まる、いや、決意ができるんじゃないかな。
特に職が無くなった時、自分が自分を追い込んでいる時、責めるでもなく自分を信じて普通に接しているのを目の当たりにした時、「こいつには、かなわないなぁ」と思った。
伴侶はやっぱり運命で決められている?でも自らの意志で別れたりしなければ、自分を守ってくれる存在なのかもしれない。

バイクが熱い?

80〜90年に青春を送った人達は、大半がバイクに関わっていた。今みたいに携帯やゲームなど、楽しむアイテムが豊富でなかった時代、免許が取れる年齢になると憧れたもんである。各メーカーもより高性能にと争っていた。
そんな今、バイクとりわけ250ccが熱い。バイクブームが去ってから久しくスポーツバイクがなかった。そこにカワサキからスポーツバイクが発売され各社とも追従した。売れるとわかると後出しよろしく、デザインはアニメの世界かヒーロー物みたいに斬新?になっていくのだが、エンジンは単気筒か2気筒。昔の全盛期は4気筒が当たり前だった。当然馬力もおちている。しかし、メーカーは馬力を補う努力でABSや電子制御をフルに使いアピールしている。
そういう意味では魅力的なのだが、価格が高くなってしまっている。確かに新技術のてんこ盛りと販売台数の関係上しかたないのだけれど、、、
それと自分だけかもしれないけれど、?と思うことがある。それはネーミング。あるメーカーは車種名の最後に単気筒は「R」2気筒は「RR」が付いている。すると4気筒は「RRRR」になるのかな?🙀