いがっぺな日記

酔っ払いがその場で思った事を書いているだけm(__)m

志しは同じはずなのに(´Д` )

前回、yotuberを例にしますと言いましたが、ちょっとお休みして違う事を述べてみたいと思います。
同じ目的で集まって行動をするサークルやクラブは多いですね。最初は身近な人達から始まりそして輪が広がっていきます。こじんまりとしている内はいいのですが、その内「大きくしたい」という欲望が芽生えて来ます。それは同じ系統を見てそれよりも優位に立ちたい!と思う気持ちが知らずに芽生えてしまうのではないでしょうか?人は他人より優位に立ちたい欲望を持っています。それによって自分の居場所(順位)を確認したい、安心したいと思うのです。
さて、志しが同じなら増えることは大賛成なのですが、ここに人間の「我」が影響してややこしくなってしまいます。
人はそれぞれ違う親から命を貰い、いろんな事を学び成長します。その過程で自ら学ぶ力を身につけた人は、より広い視野で物事を見る事ができます。要するに情報を自ら求めるか、与えられたものだけで判断するかによって人の価値は決まるのではないかと考えます。
先程の「我」が強い人がグループに入って来ると、色々と問題が起こりますね。それは、人によってそれを受け入れるか、反発するかになります。そして、反発する人はそれを排除しようとします。それによって、自分のポリシー、いや世界を守りたいのだと思います。そこに始まりの「志し」は薄らいでしまったと思うのは悲しい事です。
人は、表と裏。本心と建前で生きています。それは他人と調和する為に必要な能力だと思います。しかし、そこに感情が入ってくると、それの力は弱くなってしまいます。
綺麗事は誰にでも言えます。そこに、自分の責任がないからです。実際、グループの責任者なら綺麗事で片付けられないはずです。
お互いに妥協できる点を模索して、実行する事が大事ではないでしょうか?非常に難しい事ですが、、、、