いがっぺな日記

酔っ払いがその場で思った事を書いているだけm(__)m

坊さんについて考える その2

間が空きました。前回より、坊さんの超能力について考えるとこがあり、述べてみたいと思います。
人は死ぬと、仏になる為の修業をする。その期間は49日、だからそれ以前の香料は「御霊前」、以後は「御仏前」になるのですね。
亡くなったら、坊さんに白木の位牌に戒名を書いてもらい、それから全てが始まります。
通夜、告別式。ですが、、、
その後の49日の法要までに、各宗派により差があります。白木の位牌は、それまでの行事の主役を務めており、そこに故人の魂が宿っていると思われている方も多いと思います。
しかし、ある宗派は「本位牌ができたら、取替えてください」、また別の宗派は「魂入れは、本堂でやりますから、白木の位牌はいりません」また、白木の位牌は当寺では処分しません!と、白木の位牌は何の意味があるの?!と考えさせられる事がありました。
魂を入れる、抜くがリーズナブルな価格で出来る。本当なら高額でも文句が言えないが!誰も証明できないのが事実です。
お経の効果、魂の入れ出しを誰にでもわかるように表現できたら、誰も要求される「お布施」を高いとは思わず、逆に安い!と思うのではないでしょうか?
まず、坊さんの人柄によって変わるのかもね?

ちょっと寄り道

予告したタイトルは、ちょっとまってくださいね。m(_ _)m
自動車の洗車をしました。そこに洗車もしないのに、レクサスのおばちゃんが来て(他県ナンバー)吹き上げ用のウエスを使い放題。4〜8枚を使い、当然の顔付きで作業してました。
車には、感嘆するところがありますが、おばちゃんの行為に、すっかり冷めてしまい。こんな人に使われるのは可哀想かな?と思う貧乏人の独り言でした。

坊さんについて考える。その1

先日、親近者が亡くなり葬儀に参列しました。
葬儀費用で大きく占める割合に、お坊さんのお布施があります。よくわからないのですが、お布施には戒名が含まれており、院号居士を付けると跳ね上がるようです。料金はあってないようなもの。つまり、坊さんのいい値で決まってしまうのが現実です。しかし、ほとんどの人が料金に納得してはいないと思います。「形式でしかたない。みんなしてるから。先祖がそうだったから。」等、本心でお願いしてる人は、ほとんどいないのではないでしょうか?
お坊さんは、故人を成仏させたり、死後の魂を供養したり、魂を抜いたり入れたり。素晴らしい力を持っているとされています。そんな超人的な力を持つお坊さんが、なぜ先程のように感じられているのか、ちょっと疑問に感じました。
ついては、超人的な力を持つ「お坊さん」について考えたいとおもいます。では、また!

宗教と人間

予告通りお届けします。なぜなら酔っているからm(_ _)m
前回、宗教は人が作ったものであり、神(仏)も人が作った物と話しましたが、またそれを信じるのも人なのです。
冷静に考えると、「?」となるのですが、追い込まれて(自らも含む)余裕がなくなり、他の選択に気づけない人が助けを求めて縋ってしまうのではないでしょうか?
逆に言えば、自分で解決するのはしんどいから、第三者(神等架空?の物を信仰)に助けを求める、つまり現実逃避をすることで、現実のストレスから逃げたいだけなのかもしれない。自分を正当化し、原因は他にある!そう言える条件(占い、拝み屋等)を利用して自分が納得すること(責任転嫁)で自分を守る!と考えるのだろう。これも自己防衛の一つなのだと思う。
誰も悪者にはなりたくないと思うはず。だから、言い訳、責任転嫁等、自分を守る行動に出るのは自然な行為かもしれません。しかし、後で事実が違うなどバレてしまうと思っても「自分は違う!」と思ってしまうのが常です。
脱線しましたが、宗教はその人の都合に合わせて生まれたと考える事も出来るのではないでしょうか?そう考える年頃😛です。

宗教は誰の為?

前回酔った勢いで告知したため、今回も酔ってお届けします。m(._.)m
宗教は、悩んでる人にとっては救いの神であり心の寄り所になります。それによって自我を保っている人がいるのも事実だと思います。
苦しい時の神頼みといいますが、苦しみを救ってくれるならなんにでもすがりたいのが本心だと考えます。色々な宗教がありますが、どれも基本は信者の望みが叶う事、幸せになれると言う事が絶対条件ではないでしょうか?
同じ目的なら、他の宗教を認めないとか、否定もしないはず、しかし、現在の争い事(戦争)において、宗教絡みがある事は悲しい事です。 なぜ、同じ目的の宗教が数多くあり、同一宗教で沢山分裂して存在しているのでしょうか?
これだけ多くの宗教があり、信者も膨大にいるのに世の中に争いが絶えないのは、なぜなんでしょうか?
考えるに、そもそも宗教ってだれが考えたのかな?それよりも「神(仏)」は誰が任命したのか。「今日から神(仏)と呼びなさい!」と言われたとは考えにくい。ならば、全ての発端は人であると考えます。
苦しみから逃れる為には、他に助けを求めたり他のせいにする。これは自分を正当化し、全ては他にある等、責任を回避し身の安泰を願う人にとっては、この上ない条件なのです。
つまり、宗教は神が作ったものではなく、神は人間が作ったものであり、宗教も人が作った物と考えます。なぜなら、必ず「金」が絡んでくるからです。昨今の宗教は、金が絡んでくる事で組織内での出世が決まっているのが、真実ではないでしょうか?
その組織内で、自分の階級にしがみつく人もいる。なぜなら、自分より下の物に対して優越感に浸れるから。ここでも自分の欲望「名声欲」を離したくないから。他人の為と言う事を利用して自分の価値を高めたいと言う考えを持っている人もいるのではないでしょうか?
組織の力を借りて肩書きがついても、実力が供わないと回りは認めてくれないものです。
宗教と人間。また勝手に思いついたのですが、これはまた次回に。
ps 酔っているので、次は気分次第でUPします。メンゴ。

角度を変えて

ふと思うことがあるのですが、、、、、、、
世の中の事って、全て人が決めているんですよね?
なら、死後の世界を説く仏教(自分の周りにおいてそれ以外を説く住職がいない)も、どうなんだろう?と思う。
世界の宗教は、幸せを求めることが基本であり、人を傷つけることが目的ではないはず!
ただ、現実には自分の宗教が正しい!他は否定する!と言うのが実情だと思う。
各宗教の目指す目的は一つである!それは、信者の希望を叶える事!、、、、
なのだが、現実には、宗教から起こる闘争、挙句に戦争があるのが事実です。人の幸せを願うのが、宗教ならば、争いは起こらないのです。
次回、宗教は誰の為?で考えたいと思います。

顔に出る?

相変わらずの介護の日々です。

最近気がついたことがあります。それは、顔の変化です。日によって「いっちゃってるな!(まともに会話が出来ない)」時と、まともかな?と言う時(会話が成立してる?)違いは、顔の表情。むくんで視点が定まらないような場合と、すっきり視点もまぁ大丈夫かな?と言う場合です。大変な時もありますが、私が幼少の時にこれを食べさせたいと、当時と錯覚して話す事(私を息子とわかっていない)それを聞いて、今までの事がリセットされるような気がします。でも、まだ続くんですよね。

今回の件があって、まだまだ頑張れる気がしました。