いがっぺな日記

酔っ払いがその場で思った事を書いているだけm(__)m

お久しぶりです

何事でもそうですが、最初は盛り上がり段々と廃れて行きます。サボり癖によって更新も疎かになります。自分もそれに当てはまります。 
 何故久しぶりに投稿しようと思ったのは、理由があります。数ヶ月前に動脈血栓症で緊急手術を受け、現在もリハビリ中です。まさか自分がなるとは思わなかったので受け入れるまで時間がかかりました。改めて思った事は、救急隊の方をはじめ、病院関係の方々、そして自分に関わる全ての人に感謝しかないと。場合によっては死もあったわけです。運が良かったと言えばそうかもしれません。でも、助けてもらった事に違いはないと思います。今ある命で誰かの役にたてる機会があれば、是非お手伝いをしたいと思います。
 自分が置かれている環境が当たり前だと思っていました。しかし、それは永遠に続くことは無いんだと気付かされました。人生は常に変化し続けるものと肝に銘じて生きていかなければと思う今日この頃です。

自己(自国)の利益?

環境問題が騒がれて久しいですが、時代と共に変わってきました。当初は排出汚染水、大気汚染、不法投棄など。明らかに見える物がメインでした。しかし、最近は、二酸化炭素(CO2)と目に見えない物が主流になっています。とくに自動車(目に見えるターゲット)が槍玉にあげられています。確かに、車は排出ガスを出します。だから、一般の人にアピールするには最大の標的になるのです。例えば、燃えることによって発生するCO2は、火力発電所が最大であり、工場で使うボイラーなど燃焼で得るエネルギーを使う企業は多岐に渡ります。CO2を本気で減らすならそれの発生する根元に対処しなければ、本来の目的は達成できないのです。
 ですが、そこには自己の利益が最優先になることを目的にするため、技術的に敵わない相手を違う土俵でやっつける方法をとるのです。
 古くはF1で技術的に敵わないとなったら、協会に圧力をかけて生み出した技術を禁止にしたり、自分達に有利な規約に変えたりしたとかがあります。
 CO2問題に関しても、根本的な発生源には言及せず、技術的に敵わない相手からそれを使わせない事で、自国の躍進を推奨する政策が取られています。目に見えるエコカーとして電気自動車が普及の波に乗っていますが、大元の電気が発電所で作られている、それの普及によって
発電所からのCO2排出量が増大する。また、バッテリーの製造、廃棄。自動車本体の処分に関わるCO2の排出など、基本的には考えていられないのである。つまり、環境と言う大義名分を使い自己(自国)の利益のみを目的にしているのです。
 エコカーの技術も同じ、燃費の基準で税制を優遇することで、いらない機能を追加する。後にそれが故障したら、節約した(ガソリン代)分以上のお金がかかっていく。また、古い車はエコでない、、、との理由で税金を上げ、新車の買い替えを促進する。(自動車メーカーの販売促進に絡む議員もいるのでわ?と勘繰ってしまう)
これは事前に公表しない(してたとしても、大勢が知らない)
 以上から本気で環境の事を本気で考えているとは思えない。環境を理由に己の利益を追求しているのが現実なのである。その利益の半分を自己以外に還元(規制の緩和)してもいいのでは?世の中一辺倒は成立しないのだから、、、

立場

 みなさんは、自分の立場を考えたことがあるでしょうか?今回は社会に出て働いている前提で考えてみたいと思います。
 コロナの影響で、倒産を余儀なくされている企業も多々あることでしょう。しかし、その経営者はあらゆる対応をしても免れない結果だったかもしれません。只、働いている人にはそれに至るまでの情報が殆ど知らされてないのではないでしょうか? そのような状況のなかでも小企業などギリギリの経営をしている企業も多々あると思います。そこには、社員の選別を出来ない事情があります。そこで、色々な人が入ってくるのですが、そこには、色々と問題を起こす人が必ずいるものです。(この件は後で述べたいと思います)
 自分本意に物事を進めて周りからの反発を認識しない、我が強く絶対に曲げない。その結果、コミニュケーションがとれず、1人孤立していることにさえ何も感じない。そんな人がいると思います。結局、周りがその人をフォローするはめになるのです。チームワークなど出来るわけがありません。この様に自分勝手な人は、会社にとって不利益にあたり排除することが極論ですが、実際にはそうはいきません。そこには労働法という壁があります。これの認識の仕方で考え方が変わってしまうと思います。
 まず、雇用ですが、働くことも辞めることも本人の自由だと認識していると思います。      基本的には自由ですが、それは雇用主が判断して成り立つものであり、一方的にすることでその人に関わる事務的な事、また、補充要員の確保等、負担が多くかかりるのが実状です。
 かと言って辞めるな!とは申しません。辞める側も雇用側も突然は、互いにリスクがつきます。一時的な感情で行動を起こす前に一度考え直すことをお勧めしたいのです。但し、気を許せる人の助言が必須であり、従うかは本人次第ですが、、、、
 

ネット自動車保険

先日、バイクで日帰りを強行したときの話です。紅葉シーズンでもあり山の頂上付近のパーキングが大渋滞との情報も確認済みの為、朝4時30分に出発。寒さの中、渋滞前に着きたいとの思いからオーバーペース。その結果、転倒と言う最悪の結果。あたりは山道、民家もなくバイクは雑木林の中。諦めてロードサービスに電話。しかし、いくら電話しても「ただいま、電話が混み合っています。そのままお待ちになるか、時間をおいてからかけ直してください。」を繰り返すだけ。時間は朝の8時過ぎ、この時間てこんなに混んでいるの?20分以上電話をかけ続けても返ってくるのは、虚しい案内のみ。
 事故やレッカー手配は余裕を持ってやる事ではないでしょ!!これが格安保険の実体かと思う事態でした。
 その後、通りがかりのバイカーや散歩?の人の助けで引き上げてもらい(幸運にも自走できる状態だったので、その後の予定を全うできました。感謝!)また、補修用のビニールテープまで頂いて、ただ、ありがとうございますと言う事しかできませんでした。次に似たような人がいたら、絶対役に立ちたいと心に誓いました。
 電話が繋がらなかったことが、幸をそうしたのか、色々な人に助けて貰った結果、予定を実行できたし、破損も自走出来る状態だったので全てを考えたら凄くラッキーだったのかな?と思うとともに、誰かに守られているのかな?と思いました。
 ただ、ここで疑問に思うことがあります。自動車保険の電話対応です。事故であれレッカー手配であれ、加入者は緊急で連絡しています。たとえ、他の加入者の対応で電話に出られなくても、1人で対応はないと思うので(実際は知らない)とりあえず電話に出て話す事で加入者は安心すると思うのです。何か起きた時に連絡が取れる。それは最低限の事だと思うのですが、保険とは加入者に安心を届ける事が1番大切だと思うのは、自分だけでしょうか? 
 ネット自動車保険の安さの理由が、加入者無視とは悲しいことです😖

下世話な話

よく、自分と他人を比較してしまいます。良かれ悪かれ。他人と比較して自分の現在の位置(他人より優位か)を確認する為ではないでしょうか?先がわからない人生は不安です、だからこそ、他人と比較して自分が優位に立っているんだと思い安心したいのだと思います。そうすることで将来の希望を持つ事が出来るのだと、、、
 例えば、隣人が自分より収入が多い状態だとします。その隣人が休日に出かけず家にいつもいる、家も昔のまま、車も軽の中古、服に興味もなく、グルメでもない。いったい何に金を使っているのだろう?全て貯蓄?こっちにはそんな余裕がないのに、、、そう勘ぐってしまうのです。嫉妬?なのかもしれません。
 他人と比較して自分が優位にいると思う事で、安心を得たいと思うのに他人の方が自分より優位にいる。と不安になってしまうことで焦りがあるのかもしれません。先の事は誰もわかりません、だからこそ自分が安心できる材料を見つけて自分を守ろうとしているのです。
 人は不安になる事を恐れています、だから何かにすがったりして自分を守ろうとします。先程の他人と比較は、同じように自分を守る手段として身につけているものなのでしょう。
 不安は誰にでもあります。その中で自分を保ち自分の道を踏み外さないように努めたいものです。でも、妬み嫉みはありますよね?人間だもの?😅

鬼滅の刃

昨今、この漫画が凄い人気になっています。
遅ればせながら、アニメから入ったのですが、世界観、物語のスピード、どれをとっても素晴らしい物です。キャラの個性がハッキリしていて、しかも、それぞれのそうなった経緯が描写されている。必然的にそうなった感がすごく響いて、そのパターンは敵にも描写され「なぜそうなったか?」が描かれている。
 善悪問わず、それぞれの至った経緯を描いていることが、単純に善が悪を制す、、、ということに終始していない事に、多数の方が感銘を受けているのではないでしょうか?
 しかも、「スピード感」が凄い!普通のアニメ「原作も含む」は、やたらに回想シーンを入れたりして伸ばそうとしている事が多々あります。それは、編集者からの要請だったり、人気作品なら、それにまとわりつく色々な関係者の利益を得る為に強要?「まだ終わらせないでくださいよ!」ということが、垣間見えるアニメをよく見ます。
 結果、脅威的にパワーアップした主人公達が次の相手に苦戦する、、、物語的にはそうしないと盛り上がらないから。と言う事も解るが、毎回そのパターンだとあの努力は何だったの?と疑問が湧いてくるのです。また、次々から出てくキャラを見て「前の敵キャラの方が強くない?」と思う事が何度かあります。
 話を戻します。作者が周りの関係者から横槍を入れられ、本来自分が描いていたストーリーを半強制的に変えなければならない、、とみれるアニメを幾つか見て来ました。結果、最終話はどれも中途半端で、視聴者、読者に何を伝えたいのかがボケてしまって、作品自体の評価が下がってしまっているのです。
 「鬼滅の刃」は、前にも述べましたが、世界観、スピード感、期待を裏切られるストーリー展開など、とても魅力的な作品です。是非、周りの圧力に屈せず作者の考えたエンディングを全うして欲しいと願うばかりです。ただ、今までの流れからして既存のアニメと違う性質なので大丈夫だと思います。
 すいません、勝手に自分の期待を込めてしまいした。       🙇‍♂️

人は勝手なもの

 中国から発したコロナウィルスにより、世界的に問題になっていますね。日本においても、各地に感染者が発生、また死者も出ています。政府も感染の拡大を防ぐ対策として、人が集まるイベントの中止、学校の休校など推奨していますが、これは感染の原因、経路がわからない事に起因した処置であり、現状としていたしかたないのかな?と思います。そんな状態の中で野党の方々はいまだに「桜、桜」と声を上げています。まったく呆れたものです。そんなに騒がなくても、もうすぐ桜は咲きます🌸😁
 さて、国内に於いても騒動が起きています。マスク不足は致し方ないけれど、「トイレットペーパーとマスクは同じ材料だから、トイレットペーパーが無くなる!」との嘘が広く広がり、各地の店舗で品切れが続出しています。それは更に、生理用品から米、納豆?など。なんで?て首を傾げるものまであります。これらは全て「デマ」であり冷静に対応しなければならないのですが、政府が「在庫はあります!大丈夫です!」と広報しても、実際に店舗に現物が無ければは不安になるのは仕方がないですよね?多少持っていても「在庫がなくなるかもしれない、なら余分に買っておこう」と普段よりも多く買ってしまうのです。それが、輪をかけ広がる事によってさらに品不足が拡大し、「やっぱり無い!じゃ入ったら余分に買おう!」と悪循環に陥ってしまうのです。TVで在庫がある心配いらない、と叫んでも実際に店舗になければ不安しか残りません。さらに自己防衛のために商品の購入に全力を尽くすのです。本当に必要か人のために譲れ!と叫んでも皆自分が第一、これは仕方ないことです。しかし、人には陰と陽があるようにこの状況をなんとかしたい!と思い人がいます。今何ができるか、せめて半分でも他人の為に、、、と考える人が増えていく事がこの国をより良くすることに繋がるのではないでしょうか? 現実的には難しいと思いますが、その心意気だけは少しでも持っていきたいものです。